どうでもいいんだろうなあ、という話

(創作です)

 

 耳から凍り付くような風の強い冬、同僚とよったコンビニ。
 私のおでんは、はんぺんと、玉こんと、さつまあげ
「どういうチョイスよ?」という笑う同僚を尻目に、お味噌をいただいて出汁にとかす。
 ねえ先生。
 私の一番は、いまだにこれなんだよね。

 中学三年生の冬。
 進路やら塾やら競争やら模試やらニキビやら体型やら誰もが悩むトラブルに、律儀に真っ正面から傷ついていった結果、塾どころか学校にも行けなくなり。
 かといって中途半端に頑張ってきた勉強を受験目前で投げ出すには惜しく、家庭教師を呼ぶことになった。
 はっきり言って誰とも会いたくなかったが、みんなが受験へ向かって突き進む大きな流れから外れるのもなんだか怖かった。一応、NPOだかの「そういう子向け」の支援とかで、気を遣って接してくれるとのことだったが、『他人に気を遣われている』という状況もプレッシャーである今の私としては不安しかなかった。ただただ早く楽になりたい。それしかなかった。
 チャイムが鳴る。
 胃の奥がきゅっと締まる。
 母の出迎える声。リビングで待つ私。今すぐ隠れたい。反射的にいすを立とうとしたが、その前にドアが開いた。
「こんにちは。華ちゃん、だよね?」
 まるまるニコニコとした男性だった。正直、女性がくるものとばかり思っていたのでだいぶ動揺したが、なんだかぽかぽかした雰囲気の人だ。なんだか立つ気力を失って、ぼうっと先生のほうを眺めた。

 まず座って、今の状況などを簡単に話す。といっても、ほとんど母が話しているので私はなんとなくうつむいているだけだ。先生はメモを取りながら母の話を聞き、母が話し終えるとぱたりとメモを閉じた。
 そして私を見てこう言った。
「ちょっと二人で外を歩こうか。」

 母は大いに驚き、怪訝そうに先生をにらんだが、家から見える範囲のコンビニまで歩くだけだという先生の言葉に、ますます困惑したようだった。私は出たいと言った。何をしても苦しいだけだから、何か変化が欲しかったんだと思う。

「僕ね、昔は高校の先生をやってたんだ」
 外を出て少し歩きながら、先生はにこにこ話し出した。太ってるから笑っているように見えるだけかもしれないと、その時に気づいた。
「高校はね、中学よりずっと自由になる。生徒自身であれこれやることも増えるし、個性みたいなものも出るようになる。僕は、そうやってみんなが自由に、のびのびと好きなことが出来るようお手伝いをしたくて、先生になったんだ」
 一歩一歩、大きな身体が横にゆれる。まっすぐ前を向いたまま。
「でもね、先生って、生徒が羽目を外しすぎないように、叱らないといけない。タバコとか身体に悪くて他人に迷惑をかけるのは当然だけど、髪の色とか長さとか制服の着方とか、そういう些細な、言ってしまえばどうでもいいことでとやかく言わないといけないのは嫌いだった」
 コンビニまで、あと数歩。そのときはじめて、先生は私のほうを向いた。
「おでん、食べようか。好きなの選んでいいよ」

 おでん、といっても、なにを食べていいかわからない。コンビニのおでんなんて食べたことなかった。そう伝えると、じゃあ僕の好きな物適当に頼むね、とレジへ向かった。
 いすに座って差し出された小さいサイズのカップは、全体を覆うように真っ白なドームが占拠していた。
 なんですか、ときくと、先生は「はんぺん。おいしいよ。」といって自分の器の大きなドームを半分にして一口で食べてしまった。あんまりおいしそうに食べるから、なんだかとってもステキなもののように思えて、はしでピザみたいに少し切って頬張った。口に入れるとしゅわしゅわと出汁の香りとお魚の味が広がっておもしろい。ドームがひらけてなかから覗いた串の先には玉こんにゃくがついていた。お祭りの屋台でしか食べたことなかったけど、屋台よりもずっと味がしみていておいしい。さらに下からはさつまあげが覗いている。ぷりぷりした食感にお野菜の風味もある。あまり食卓にのぼらない食材の味にどきどきした。
「あとこれね」
 先生は最後に薬味の味噌を出汁に溶かした。途中までそのままいただいてから、最後に味噌を一気に溶かすのが先生流だそう。
 味噌汁みたいになるのかと思いきや、独特の甘みが漂って思わずごくごく飲んでしまう。
 先生が豪快にずぞぞぞぞーっと汁をすするのをみてなんだか笑ってしまった。

 帰り道、お腹いっぱいだというと先生は「しまった、夕飯食べられるかな?」と焦っていた。
「僕にとっては2分目くらいの量だから」
 めっちゃ食いますやん、と返すと「見ての通り」と言って笑い、その後は何も話さなかった。

 先生とはあれ以来会ってない。その後は女性の家庭教師が来て、勉強を教えてくれた。名前も覚えてない。ほんとに10分程度のささいな散歩だった。でも当時の私にとって「先生も校則とかどうでもいいと思ってるんだなあ」と知れたことはとても大きかった。今となっては感情的に怒られることが多く、いまでも律儀に正面から傷ついたりするけれど、このおでんを食べるときはちょっとだけ、どうでもいいんだろうなあ、と思えるのだ。